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Ⅱ部-6:大航海時代から神聖ローマ帝国繁栄の15-16世紀/「大航海時代」その2

<大航海時代>

話を戻して、ハプスブルグ家が支配をしていたのが、このスペイン他、現ドイツ周辺の神聖ローマ帝国を含めた世界各国に影響を及ぼしていたのがこの時代です。

また、この大航海時代は「金」以外にも大きな貿易活動が行われました。

一つは、新大陸でプランテーションという大量栽培を実施して獲得した、綿花やたばこ、そして砂糖です。特にヨーロッパで高価だった砂糖の輸入で食生活が激変しています。前述の通り、ヨーロッパ特にイングランドなどの北国の食生活は貧相でしたから、この砂糖は大きな影響を与えました。

 

 

もう一つは、アジアからの香辛料。高価な香辛料の流入。とにかく味気のなかったヨーロッパの食生活を変化させていくようになります。特に大航海時代前半は、金銀の重さと香辛料の重さが同じくらいの価値で取引をされていたと言われるほど、貴重品でした。今では考えられませんが、ヨーロッパ諸国の貧しい食生活の改善という「需要」からその価値がついていたという事の証と言えるでしょう。

こして、スペイン・ポルトガル・(イギリス)はアジアへの侵略も進めていきます。貿易として非常に魅力的な「香辛料」これらを求めインドネシアやフィリピン、マカオを侵略していきます。

日本との関係は!?

1543年には初めて種子島にポルトガル人が漂着し、鉄砲が伝わります。

その頃の日本は戦国時代真っただ中。その後の戦争で鉄砲が使われるようになったのはご存知の通りですが、このポルトガル人と鉄砲の取引をしていた商人の関連の一人が、千利休(ウィキペディアに遷移します。)でした。

利休はお茶の先駆者と言われますが、元々はそのお仲間が商人。そしてその鉄砲をで各大名に販売し、その多くを織田信長と取引をしていました。その取引がお茶室で行われていたとも言われています。
織田信長が、何故お茶を始めたのか!?芸術的な興味もあったと言われていますが、鉄砲という武器を入手するため に、お茶というコミュニティに入っていったという事の方が、筋道が通るかと思います。

また、この年表を見てみると、ヨーロッパ諸国の覇権の移り変わりが良く分かります。
日本に最初に来たと言われているポルトガル人。南蛮貿易という言葉もあるように、アジアまで含めて影響力が大きかったことが伺えます。しかし、その後スペインが力をつけはじめ、フィリピン、マニラなどのアジア諸国を支配していくようになります。この頃、まさにハプスブルグ家のカール5世がスペイン王となり、ポルトガルから覇権を奪い、その後を引き継いだフェリペ2世によって、アジアを含め世界を支配していった時代になります。※実際には借金まみれでしたが・・・
しかし、1581年オランダがハプスブルグ家との宗教戦争から独立し、イギリスがスペイン艦隊を撃破、徐々にオランダに支配圏が移り、そしてイギリスがエリザベス1世と共に台頭してくるという流れになります。実際に、日本は鎖国令を出しながら、出島でオランダと貿易を続けていた事はご存知の通りです。
ここに、マネーの流れからその覇権の移り変わりが色濃く出てきますが、後述致します。

 

こうして鉄砲の輸入が始まりますが、さて日本からの輸出は!?

漆製品や銀です。この大航海時代の世界の銀の算出は、1/3が日本、アメリカ新大陸が40%強、ヨーロッパが1/4と報告されている程、日本は銀の産出国として世界に知られていました。世界の1/3、特にアジア圏で使われていた銀貨のほとんどは日本の銀が使われていたと言えます。

有名な銀山は石見銀山(島根県)、佐渡銀山そして、日本から中国(明)に銀、ポルトガルからは鉄砲、中国からポルトガルへは生糸やお茶が輸出されていました。そして前述の通り支配していたフィリピン島からは香辛料がヨーロッパへ輸出されています。

そして、ヨーロッパ諸国のポルトガル・スペイン・その後のイギリスと各国が日本を訪れるようになりますが、何故諸外国のように日本は侵略されなかったのでしょうか?

帝国主義のハプスブルグ帝国(後述参考)ですから、当然ジパング・ニッポンを見つけ侵略を企てていたはずです。その証拠にイエズス会(キリスト旧教徒)の宣教師フランシスコ・ザビエルによって、キリスト教の布教が1549年から始まり、ヨーロッパ諸国との交流という名の洗脳が行われています。古代ローマ帝国から始まり、各国の支配者たちが宗教(キリスト教)を利用し、時には戦争となりつつも、その人を洗脳するのに都合のよかった宗教でヨーロッパ諸国を支配していた戦略。それをアジア、日本でも実行しようとしたのです。しかし、それはもろくも失敗に終わりました。

しかし!この時ヨーロッパ諸国は日本を植民地化、占領しようとはしませんでした。

それは、戦国時代で戦いに明け暮れていた日本人が強かったから!
しかし、それに見合うだけの資源が大きくなかったからだとも言われています。実際、日本からの銀は世界の1/3を占めていましたが・・・。

いずれにせよ、侵略よりも貿易を優先していたというのが事実です。その後、秀吉は天下統一に邪魔となるキリスト教を禁教とし、排除していきます。

宗教を活用して侵略を企てる、ヨーロッパ帝国主義が見え隠れする日本史の1ページです。

それにしても世界を船で一周するという、非常にリスクの高い事をやってのけていたヨーロッパ諸国。それに見合う対価があったからこその大航海でしたが、そのリスクを回避するために作られたのが株式会社(オランダ東インド会社)であり、合本会社(東インド会社)でした。

これが世界初の株式会社であり、その後の資本主義の原動力となっていく事になります。→「ネーデルランドの発展」に繋がっていきます。

 

【まとめ】

「大航海時代」を、マネー経済という視点で見ると・・・

  • ヨーロッパ諸国の貧しかった食生活の改善に対する「需要」に対して、新大陸からの砂糖など、アジアからの香辛料という「供給」ビジネスが人類の大航海に駆り立てた。

  • ヨーロッパの金銀の枯渇から、新大陸で発見された大量の金銀。スペインとポルトガルが独占し、スペインの8レアル銀貨は世界共通通貨となり、まさに世界を支配していたが、ヨーロッパ諸国の宗教を絡めた度重なる戦争でそのマネー(富)もそのほとんどが戦費として泡と消えていった。しかし各ヨーロッパ諸国に流れ込んだ金銀によって、物価は2~3倍にインフレとなり、経済の活性化に大きく寄与したことは間違いありません。しかし、その一方で急激なインフレによって、経済が混乱していく事になります。この時代はまだ、現在の信用創造ではなく重商主義であったのです。

  • アジアの日本にある銀や金は魅力的!しかし日本人の戦闘力が高く(=防衛力)、支配をするにはリスクが高かったのでヨーロッパ帝国主義国は日本との「貿易」を最優先した。キリスト教を活用して支配も試みたが日本からの弾圧、鎖国にて失敗に終わった。

⇒次(Ⅱ部-7:大航海時代から神聖ローマ帝国繁栄の15-16世紀/「ハプスブルグ家(神聖ローマ帝国)」)に続く