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第一章-4 人々の自由と共にマネーの姿が変わっていく

◆人々の自由と共にマネーの姿が変わっていく

さて、そんな悲惨な宗教戦争後、1648年にウェストファリア条約(体制)が敷かれます。これは、ヨーロッパ諸国の諸侯達が集まった宗教の信仰を認める条約で、スウェーデンのクリスティーナ女王が「異教徒を殺さなくて良い」と語った。

現在では当たり前の事のように聞こえると思いますが、一国の女王がこの一言を放つ事は、それまで異教徒は殺せ!であったことが分かる言葉でもあると思います。こうして、カトリックを活用した神聖ローマ帝国(神聖でもローマでも帝国でもないが)は崩壊していきながら、そこからオランダ(ネーデルランド)が独立、スイスが独立していきながら、神聖ローマ帝国内は領邦化していきながら、国家として成立しなくなっていく時代になります。さて、ここで絶対的な支配者がいなくなった時に、お金はどうなったか?

  1. 神聖ローマ帝国内にて、国王の肖像画が描かれないコインが誕生(地域通貨)

それまで国王の肖像が描かれた権威の象徴としての通貨から、国民主権と言わんばかりのデザインされたコインが各地で鋳造されていった。

お気づきでしょうか?

これらは、流通通貨もありますが、どちらかというと記念として発行されたものもありますが、プロビデンスの目や光輝星等が描かれているものがこの時代に出てきます。

これが近代フリーメイソンの活動の象徴であり、フリーメイソンのシンボルマークです。
※フリーメイソンの解説はこちら

この時代は、抑圧された国民達が自由と平等を手に入れ、国民主権を取り戻す動きをしていた証ともいうべきものがこれらコインです。ただし、あくまでも重商主義=金貨銀貨がお金であり、その決められた量の中で売買が行われていました。且つこの時期(17-18世紀)は、世界で算出される金のほとんどがブラジルからイギリスに流入し、ヨーロッパ諸国は金銀が枯渇している時代でもあり、国家経済の成長やインフレに対応できない=さらなる経済成長の妨げ=重商主義の欠点が見え隠れしている時代でもありました。

2、オランダで迫害から逃れたユダヤ人たちが金融国家を作り上げる

この30年戦争下、異教徒のみならず、イスラム教、ユダヤ教達も迫害されるため、頑なに口を閉ざし、逃げていた。実はユダヤ教徒だなどと言った瞬間に殺される時代であったのだから。その異教徒たちが集まっていた一つがネーデルランドであった。

これには、さらに前の時代に1581年にスペイン(カトリック)から独立し、その後その異教徒であるユダヤ人たちだけが扱えるお金の知識を使って金融国家となっていきます。当時キリスト教はお金を扱う事は卑しい職業だという事で、唯一ユダヤ人たちだけが扱っていた両替商などです。そこからゴールドスミスと呼ばれるいわゆる金庫番が銀行に変わっていきます。金貨を預けて、その預かり証としてその紙幣が流通する事=紙幣の始まり

このオランダでは世界各国から様々な物がアムステルダムで取引される中、アムステルダム銀行は、オランダ商人の預金銀行として、そして重商主義の中にあってヨーロッパ全ての商人、資本家の銀行として(安全性)機能を果たすこととなります。また、貸付による利子、信用業務、銀行券も17世紀末には発行されていくようになり金融国家として変化していくようになります。1636年頃に起きたチューリップバブルはまさにそのオランダ金融国家としての象徴的な例と言えるでしょう。

ということで、1600年代、オランダだけでユダヤ人たちによって重商主義から金融という仕組みが生まれ始めます。