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【特別編Ⅰ】フリーメイソンを理解する

*はじめに

 

世界を裏で牛耳る秘密結社フリーメイソンと巷では言われていますが・・・

本記述では、以下の作家さんの書籍等からの情報として、“正確”だと思われる情報として列記しています。ただし、秘密結社ですので、その情報の正確性の是非は皆様にご判断いただければと思います。

有澤玲「真説フリーメイソン大百科()()
吉村正和「フリーメイソン」
W・カーク・マクナルティ「フリーメイスンのすべて」他多数 

読み物として“面白く”するのであれば、陰謀論的な記述も出来ますが(多くの陰謀論的な書籍や情報は陰謀論好きな我々人間のマインドをくすぐっています・・・それも数百年前から)、ここでは「真実」に近づけるようにしていく為に、大真面目にフリーメイソンを史実として記述していきます。
しかし、その史実を読み解くことで、教科書には絶対に載らない、まさに“裏”の史実が見えてきます。我々が見ていた、教わってきた歴史事実ではない側面が浮かび上がる事で、「真実」に近づいていければと思います。

目次

*フリーメイソンの歴史
*400万人のなかでも著名なフリーメイソンリー
*フリーメイソンの理念
*ロッジと儀式
*位階
*相互認証手段
*フリーメイソンのシンボリズム(象徴)
*各国とフリーメイソンの関連性 →準備中
*世界各国の最初のロッジ(大ロッジを含む)

*フリーメイソンの歴史

起源

14世紀の石工職人達の組合が起源とされていますが、その後の中世を経て17世紀のヨーロッパ、イングランド辺りからその活動が確認をされ始め、18世紀1717年6月24日(聖ヨハネの日)にロンドンの4つのロッジが集まったグランドロッジが出来るところから、近代フリーメイソンの幕開けとなります。
ロッジと言っても、この頃は居酒屋=ロッジであり、人々が飲食と社交を楽しむ場でありました。そして、その居酒屋で行われていた集まりの一つで、内部の事は外部に漏らさないなどの秘密的な結社がフリーメイソンであったという事になります。
これらの証拠として、この近代フリーメイソンの起源はロバート・マリーという軍人が1641年にフリーメイソンに加入しています。このロバート・マリーはその後の国王チャールズ2世の側近だった人です。また、ロンドンでコーヒーハウスが出来たのは1652年、国民の憩いの場であり、情報交換の場所となっていたのは広く知られている事と思います。ちなみに、この頃以前の石工組合だった頃のフリーメイソンの名残から秘密結社が乱立し、秘密結社ごっこも多かったようです。
ロンドンのグランドロッジ創設後、フランスはパリで1725年(1773年にグランドロッジ)、アメリカではまだ植民地時代にペンシルバニア1730年、ドイツではハンブルグ1734年、イタリアはフィレンツェ1733年、オーストリアはウィーン1742年、オランダはハーグ1731年・・・と世界各国でその活動が広がっていく事になりました。※世界各国のロッジは一番下を参照ください

これらのロッジによって、様々な人々が情報交換をしていましたが、その中には、哲学者や芸術家、音楽家、科学者等のいわゆる有識者と呼ばれる方々も参画していました。そして、以下のイギリス王室や、アメリカ大統領といった政治家達もメンバーとなっていきます。

ロッジの開設と共に18世紀、爆発的にフリーメイソンリーは増えていきましたが、それを物語るように1738年4月28日ローマ教皇クレメンス12世はカトリック教徒がフリーメイソンになる事を禁じている。

  

フリーメイソンをここまで結びつけた一つのきっかけが、近代フリーメイソンの父とも呼ばれるデザギュリエによって改革され、1723年「アンダーソン憲章」と呼ばれる規約です。

その中でも最も重要なのが、“理念”ですが下記にて別途参照ください。

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400万人のなかでも著名なフリーメイソンリー

・ベンジャミン・フランクリン(アメリカ100ドル札に描かれている肖像)
・ジョージ・ワシントン(アメリカ初代大統領、1ドル札に描かれている肖像)
・マシュー・ペリー(黒船来航でお馴染みのアメリカ軍人)
・ジョージ4世(イギリス国王)
・エドワード7世(イギリス国王)
・ジョージ6世(イギリス国王)
・フランツ1世(神聖ローマ皇帝)
・フリードリヒ2世(プロイセン王)
・ロベスピエール(フランス革命家)
・ジェームズ・ワット(イギリス蒸気機関の発明者)
・アイザック・ニュートン(万有引力の法則)
・ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(ドイツ詩人他)
・モーツァルト(音楽家)
・トーマス・グラバー(グラバー商会)
・西周(日本初のフリーメイソン)
・ダグラス・マッカーサー(GHQ
・鳩山一郎(首相)

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*フリーメイソンの理念

近代フリーメイソンを語る上で最も重要な、この“理念”

何故、これだけの時代で国を越えて、専門分野の違う人々が、そして国王までも入会していったのでしょうか?それは、この“理念”であると思われます。そして、それを語る上で重要なのが時代背景の理解です。

そして、ヨーロッパ史で最も重要だと言っても過言でないのが、1648年ウェストファリア条約です。

17世紀のヨーロッパ、それはハプスブルグ家による神聖ローマ帝国を中心とした宗教戦争の真っ只中でした。

1618年~1648年の30年戦争ではドイツの人口の2/31000万人が亡くなったと言われています。

カトリック VS プロテスタント(ルターやカルバン派)

→キリスト教についてはこちらにも記述していますのでご参照ください

これは少し極論ですが、「カトリック」とはローマ教皇をトップと置く各国王が国家を維持、支配する為のツール(←国王視点)として考えればスッキリします。そのカトリックの原理である「三位一体」の考え方がそのツールとして利用されます。三位一体とは、神は一つの実体でありつつ、「父なる神(ゼウス)」「子なる神(イエス・キリスト)」「聖霊(聖神ホリースピリット)」の三つの姿にもなるという事を“信じる”事です。恐らくキリスト教信者でない人には理解できません。・・・そうです、三位一体とは“理解”することではなく“信じる”事なのです。その三位一体の原理を信じる事で、あなたは救われる・・・という事です。国は、国民は神を信じる、三位一体を信じる、だから国家の方針である戦争や侵略や虐殺もその三位一体を信じない人々(プロテスタント等)は異端児だ!という事を“信じさせる”(←国王視点)事で領土を広げていく事がカトリックによる国家戦略でした。
よって、権力はカトリック信仰の国王に集中していきます。そしてその権力を振りかざして残虐な行為を続けていきます。そんな抑圧された社会、イギリスはイギリス国教会を成立させローマ教皇の管轄ではありませんでしたが、キリスト教の影響は強く、また完全なる階級社会、国王は戦争ばかり、国民人々に“自由”や“平和”といったものは皆無に近いという時代背景でした。

そうした背景の中から、神聖ローマ帝国でカトリックを使って国民、国家を支配していた時代から、30年戦争で皇帝の権威が失墜し、ヨーロッパ全土で「もう異教徒を殺すのは止めよう」と言って平和条約を結んだのが「ウェストファリア条約」です。
そしてイギリスではピューリタン革命(1642-1649)、名誉革命(1688-1689)などの革命が起こり、絶対王政から立憲君主制となり、議会制が敷かれることによって国民の人権という動きに発展していきます。そうした時代背景の中で、哲学者や科学者などの有識者達がロンドンのコーヒーハウスに集まり交流をしていく事で、生まれていったのが近代フリーメイソンの思想だという事です。

それは、啓蒙主義的「理神論」「自然科学」です。

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「理神論」とは、

“理性”が人間の基礎であり宗教を合理的に見直そうとする宗教的思想です。
理性とは・・・物事の道理を考える能力。道理に従って判断したり行動したりする能力。

要は、それまで前述の宗教戦争によって人々は“理性”という道徳的な考え方が出来なかった(洗脳されていた)という事の表われではないかと理解できるかと思います。

「自然科学」とは

自然を対象にして理性的な観察と実験を通して現象を支配する法則を発見しようと努めるとある。
・・・これ、まさにニュートンの“万有引力の法則”ですよね。

 また、 “寛容”という理念も重要視されています。宗教による抑圧からの解放が背景であり、あらゆる宗教や神を信仰するものを受け入れるとされている。よってフリーメイソンはどんな宗教でも受け入れている。

また、 “真理”の探究という事も言われている。しかしその真理とは何か?は教えてくれない。真理を目指すプロセスとその気概が大切である。そしてその結果は各人各様であって良いという事も“寛容”である。

そして、スローガンとしても言われるのが、

“自由”“平等”“友愛”

です。

理性に基づき、自由で平等な社会の中で友愛=絆を結んで真理を目指す!

そして、どんな宗教でも受け入れるという寛容。

余談ですが1200年前から高野山に“いる”弘法大師の思想に似ていると思うのは私だけでしょうか。

 こうした素晴らしい理念があったからこそ、フリーメイソンリーの「質」と「規模」が広がっていったと思われます。そして、こういう視点でフリーメイソンを記述しているところも少なく、ほとんどが陰謀論として一言で片づけられているような気がします。それは誰かが意図的にやっているのか?それとも前述の通り、人々の陰謀論好きのマインドをくすぐっているのか?それともその両方なのか?は定かではありません。

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*ロッジと儀式

フリーメイソンに入会すると、参入儀礼がある。また階位(後述)が上がるときにも参入儀礼がある。その際に執り行われる場所=ロッジは「ソロモンの神殿」がモデルになっている。

前述の取り、フリーメイソンは元々中世の石工職=建築家である。よって、その彼らが作った秘密結社、理念は理神論他、という関連性からユダヤ人(イスラエル人)たちが作った「ソロモンの神殿」をモデルとしているという事には納得できると思います。
ソロモンの神殿は、聖書によってこう記述されている。
イスラエル人がエルサレムのシオンの丘にソロモンの神殿をB.C 958年に着工され7年で完成したとされている。この最初の神殿はB.C586年に破壊されユダヤ人は捕囚され、バビロンに連れ去られる=バビロン捕囚
その後第二神殿の建築、破壊を繰り返されながらもユダヤ人の精神の拠り所である場所であり建築物であるのがソロモン神殿であった。

ご存知の通り、このユダヤ人のユダヤ教から派生したのがキリスト教であり、カトリックとプロテスタントが生まれ宗教戦争に・・・。また旧約聖書にあるがキリストの使徒12人のうちの2人はキリストの迫害後にノアの箱船が降り立ったアララト山(現アルメニアとトルコの境界線だが現在はトルコ領)に向かいアルメニアにて迫害を恐れながらも隠れてその布教活動を続ける=アルメニア教
しかし、7世紀に元々は貧困層の救済を説いたムハンマドによるイスラム教はその教えとされるコーランによると、ムハンマドは天使ガブリエルに導かれてエルサレムへ訪れたとされ、メッカ、メディナに次ぐ第三の聖地とされています。
・・・ということで、エルサレムには「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」「アルメニア教」4つの聖地が存在し、その聖地を巡った争いが十字軍の遠征、その後のオスマン帝国による支配、イスラエル建国、その後の中東紛争の火種となっているわけです。

 いずれにせよ、ソロモン神殿がフリーメイソンのロッジのモデルとされ、そこは世俗空間の中に超越神を迎え入れる為の神聖な空間であり、神との交流を内容とする儀式が執り行われる場所として位置づけられています。
この儀式自体が秘密であり、加入する際に執り行われる。
この儀式には、キリストの復活を想像させる“死と再生”のシンボリズムを強調する。
まず、志願者は小部屋「反省の小部屋」に閉じ込められる。(ここで遺書を書かされることもあるよう)そして、身に付けていた装飾品はすべて外す=貧富の差異がここでは意味を持たないことを表す。勿論武器も全てである。(※この部分・・・戦国時代末期の茶室で行われていた茶会の敵国同士の武士も茶会の際には刀を置くというセレモニーに似ている)
神聖なる空間で一人で自分自身と向き合う事で自己を知る。
現在多くの外資系企業(googleなど)が取り入れているマインドフルネス瞑想などに繋がっているかと思われます。

この後、このような姿になる。

胸を出すのには、男性である証

目隠しには、“闇から光へ”を効果的に演出することであるが、視覚を奪う事で感受性や集中力を高める効果がある。

首に巻かれるロープは、仮に誓いを破ったら絞首刑にされても構わないという意味があるそうである。

その後に目隠しを外される=闇から光へ

また、その目隠しを外されるとその場にいる参加者が剣を自分に突きつけるという“衝撃”を演出することもあるという。

※親方位階の参入儀礼の様子

 フリーメイソンを題材にしたと言われている映画“ダヴィンチコード”で描かれた、夜密室に集まった男達が怪しい儀式をしている・・・というシーンがありますが、まさにこのような演出をしているという事です。

その意味は、キリストの死と再生という事を演出することで、真理を追究するという理念を説くものである。これを知っている人が見れば、“あぁ参入儀礼ね、また新しく誰か入ったのね”と言われると思いますが、秘密結社であるが故、勿論その意味は外の人は知ら術を知らない。それは、人々がオカルト的な発想をするのにもうなずけます。事実、18世紀以降フリーメイソンの陰謀というような本や新聞が多数出回り、一部では禁止、逮捕といった事もあちこちで起きていたといいます。いつの時代も陰謀論、オカルトが好きな性をもつのが人間なのですね。

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*位階

まずは大きく3つ

1、徒弟(エンタード・アプレンティス)

2、職人(フェロー・クラフト)

3、親方(マスター・メイソン)

そして古式公認スコットランド儀礼では33位階から成る。

この3つの位階を上がる毎に儀礼を執り行う。 この”3”という数字もフリーメイソンの象徴の数値である。

親方(マスター・メイソン)だけで執り行われる「最高評議会」というものがあるが、それがフリーメイソンのまさに最上位階層であり、そのメンバー達が世界を牛耳っているという陰謀論があるがこれは定かではない。

*相互認証手段

<握手>

特徴的なものは親指を直角に立てたり、相手の人差し指を3度押したりという事が言われています。しかし、位階によっても異なることと、あまりにも有名になり、欧米では一般人が使っている事から、秘密でもなんでもなく、今現在その真偽は定かではありません。

 

<合言葉>

1、徒弟(エンタード・アプレンティス)→ボアズ(Boaz)※ソロモン神殿の前の柱の名

2、職人(フェロー・クラフト)→ヤキン(Jachin)※ソロモン神殿の前の柱の名

3、親方(マスター・メイソン)→マク・ベク(Mac Benac)※ヒラム・アビフ伝説から

 

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*フリーメイソンのシンボリズム(象徴)

フリーメイソンの起源は石工職=建築家です。

建築は、物理額、幾何学、数学、化学、統計学、行動心理学、哲学、宗教・・・と様々な学問を必要とします。そしてそれを物語るように、“象徴(シンボル)”は多種多様存在しています。

 有名なものは、コンパスと直角三角形、Gマーク等ですが、上記の通り様々な学問などによる象徴が存在しておりますので、別ページにてご案内いたします。

→詳細はこちら
※特にアンティークコインの収集にはこの紋章、象徴は非常に重要になります。

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Masonic Freemasonry Emblem Icon Logo. Vector illustration

*各国とフリーメイソンの関連性 →準備中

・アメリカとフリーメイソンの関連性

・フランス革命とフリーメイソンの関連性

・日本とフリメイソンの関連性

・イギリス王室とフリーメイソンの関連性

 

*世界各国の最初のロッジ(大ロッジを含む)

※単純にロッジ設立年を列記しているもので、ロッジ設立前からメイソンの活動は既に始まっていた事の留意して頂きたい

場所 備考
ヨーロッパ
イギリス 1717年 ロンドン 大ロッジ以外は17世紀から
フランス 1725年 パリ
ドイツ 1734年 ハンブルグ
イタリア 1733年 フィレンツェ
オーストリア 1742年 ウィーン
オランダ 1731年 ハーグ
ベルギー 1721年 モンス
ルクセンブルグ 1776年 ルクセンブルグ
スイス 1736年 ジュネーブ
スペイン 1728年 マドリード
ポルトガル 1735年 リスボン
ギリシャ 1809年 コルフ島
スウェーデン 1735年 ストックホルム
デンマーク 1743年 コペンハーゲン
ノルウェー 1749年 オスロ
アイスランド 1913年 レイキャヴィク
フィンランド 1756年 ヘルシンキ
ポーランド 1736年 ワルシャワ
チェコ 1735年 プラハ
ハンガリー 1749年 不明
ルーマニア 1856年 ブカレスト
ブルガリア 1879年 ラスグラート
ロシア 1732年 サンクトペテルブルグ
北アメリカ
アメリカ 1733年 ボストン アメリカ建国前からロッジは存在していた
カナダ 1738年 アナポリスロイヤル
メキシコ 1806年 ベラクルス
グアテマラ 1881年 グアテマラ
ホンジュラス 1898年 テグシガルパ
エルサルバドル 1850年 不明
ニカラグア 1763年 不明
コスタリカ 1867年 サンホセ
パナマ 1821年 パナマ
キューバ 1762年 ハバナ
ハイチ 1749年 ポルトープランス
ドミニカ共和国 1803年 サントドミンゴ
南アメリカ
コロンビア 1833年 不明
ベネズエラ 1797年 ラグアイラ
エクアドル 1808年 キト
ペルー 1821年 リマ
ブラジル 1815年 リオデジャネイロ
ボリビア 1875年 不明
パラグアイ 1869年 アスンシオン
ウルグアイ 1827年 モンスビデオ
アルゼンチン 1795年 ブエノスアイリス
チリ 1850年 バルパライソ
アフリカ
エジプト 1802年 アレクサンドリア
リベリア 19世紀 モンロヴィア
南アフリカ共和国 1772年 ケープタウン
アジア・オセアニア
トルコ 1738年 イズミル
イスラエル 1910年 アッコ
イラン 1919年 シラズ
インド 1728年 ベンガル地方
フィリピン 1762年 不明
中国 1767年 広東
オーストラリア 1803年 シドニー
ニュージーランド 1842年 オークランド
日本 1866年6月26日 横浜

現在、世界中に400万人いると言われるフリーメイソンリー

 世界の常識、日本の非常識と言われないように・・・

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