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Ⅱ部-7:大航海時代から神聖ローマ帝国繁栄の15-16世紀/「ハプスブルグ家(神聖ローマ帝国)」

<ハプスブルグ家(神聖ローマ帝国)>

ハプスブルグ家はスイスのバーゼル、ライン川沿いの一家、紀元後1000年頃から徐々に力をつけていきますが、その中心であった神聖ローマ帝国は、別名ハプスブルグ帝国とも言われます。神聖ローマ帝国、その名前の通り、紀元後約800年にカール大帝が古代ローマ帝国の復活を夢見て、ローマ法王から帝冠をうけたのが始めとされています。その後、現在のイタリア北部からドイツ、オランダを支配、フランス、スペイン他アジアに影響を及ぼしつつも、正式にはナポレオンに滅ばされる1806年まで続き、その後オーストリア帝国と名前を変えていきます。

 

日本人にとってこのヨーロッパの地理関係、宗教感が困難な為、難しいとされる方が多いのも事実だとは思いますが、後述する通り世界中に直接、間接的に影響している、まるで全ての地域につながる地球の地底にある岩盤のような存在とも言えるでしょう。
「太陽の沈まない国」と言われる所以は、まさに世界中を支配、影響を及ぼしていたことから言われていることが良く分かります。

また、この帝国の中には1430年に設立された“金羊毛騎士団”は、現在の日本の天皇や、イギリスエリザベス女王もその騎士団の一員で、名誉の証と言われるような団体もあります。

さて、そんな帝国ですが、人物がたくさん出てきますので、重要な人物を絞ります。

“マキシミリアン1世”、“カール5世”、“フェリぺ2世”、 “フェルディナンド2世”、また宗教改革でプロテスタントとして、名を轟かせたのが“ルター”、“カルヴァン”

彼らハプスブルグ家は、血を濃くするという近親相姦が強く、その影響から特に男性は顎がしゃくれている人が多いのも特徴です。

また、この時代のハプスブルグ家はまさに宗教改革でありカトリック対プロテスタントの宗教戦争の時代でもありました。

 

☆マキシミリアン1世(1459年~1519年)

近世ハプスブルグ史はマキシミリアン1世と共に始まります。

彼自身は、好奇心が旺盛、多言語を話し、音楽芸術、学芸に秀でていたと共に、軍事に優れた手腕を見せ、生涯27の戦争を戦った、
「最後の騎士」と呼ばれる。

一方、“戦いは他のものにさせるが良い。汝幸あるオーストリアよ、結婚せよ”と発言した通り、結婚政策によって領土を広げていきました。

これが前述の通りの近親相姦です。

 

“ブルゴーニュ王国”

嫁は、ブルゴーニュ公国のマリアで、フランス、ネーデルランドを手に入れ、息子はスペイン王家と結ばせ、孫・孫娘をボヘミア・ハンガリー王家と縁組させていくことで、ハプスブルグ帝国を築いていきます。

ちなみに、前述の金羊毛騎士団、マキシミリアン1世がハプスブルグ家で初の騎士団長となっています=名誉の証

 

 

 

 

 

 

☆カール5世(1500年~1558年)※スペイン国王としてはカルロス1世

マキシミリアン1世を継いで神聖ローマ皇帝となり、スペインから現ドイツ、イタリアまで広大な領土を支配していました。カールの奥さんはポルトガルのイサベラでした。

しかしとにかく戦争が多く、対フランス、対イタリア、対プロテスタント・・・。前述の通り、当時スペインは新大陸アメリカから膨大な金を入手していましたが、戦費で相当費やし(入手した金銀の7割とも言われています)、諸侯達からも多額に借金をしている状況でした。逆にその状況が、膨大な領土の皇帝でありながら独裁者としての権利を得るまでにはならなかった(諸侯の力が強かった)と、言われています。

また、この時期は宗教改革。腐敗した教会に異論を唱えたルターなどによるプロテスタント、その後のカルヴァン派と共に皇帝からすると非常に厄介な宗教の争い、国民からすると自由主義が唱えられる時期とも言えるかと思います。

いずれにせよアメリカ大陸からの金銀、諸侯からの借金とその莫大な戦費から神聖ローマ帝国、ハプスブルグ帝国最大の領土を誇る時期となっていきます。

 

☆フェリペ2世(1527-1598年)

 

 

 

 

 

フェリペ2世はカール5世の死後スペイン系を引き継ぐことになります。※オーストリア系はフェルディナンド1世とこの時期ら二分するようになります。また、イングランドのメアリー1世(ブラッディメアリーでお馴染み)と結婚し、一時イングランドも共同統治します。
彼の時期はスペインの黄金世紀と呼ばれ、ブラジル、ペルー、メキシコ、アメリカ各国から確保された金銀の収奪と共に、フィリピン、マカオ(中国)との貿易など世界中を航海しました。

まさに“太陽の沈まぬ帝国”でした。ちなみに、フィリピンという名前はこのフェリペ2世が由来です。このような発展はスペインや、ハプスブルグ家に大きな富をもたらしたかと思いきや、前述そして後述の宗教戦争等々の費用がかさみ、国は財政難が続き、華やかなイメージのスペインとは対照的に、国民は貧しい暮らしをしていました。

また、彼はネーデルランドで異常なまでのカトリック擁護策を取り、新教弾圧が酷かったといいます。なりふり構わず、宗教の違いで生き埋めや火あぶりの刑などの殺戮を繰り返していました。それに反発したネーデルランドは1581年に独立を宣言します。これは史上初の人権宣言でもありました。そしてここでエリザベス1世率いる、イギリスの登場。1588年無敵艦隊と言われたスペインは、イギリスに敗北(アルマダの海戦)し、その存在が徐々に薄くなっていきます。

 

☆フェルディナンド2世(1578年-1637年)

 

 

 

 

 

 

オーストリア、ボヘミア、ハンガリー一帯の神聖ローマ皇帝で、フェリペ2世同様、熱狂的なカトリックで異教徒であるプロテスタントを惨殺していった事をきっかけに30年戦争(1618-1648年)へと続いていきます。この30年戦争でドイツは人口が1/3の600万人になったと言われ(ペスト・黒死病)、更にハプスブルグ家、領主、国民、全てにおいて弱体化していってしまい、その後1700年代にはプロイセン王国が力をつけていくことになる。時は17世紀というとフランス、イギリスでは王政が強くなっていく時期であり、まさに神聖ローマ帝国と、隣国の逆行した流れが見て取れるかと思います。

このような、殺戮、戦争、病気等によって、人口が大きく変動する中ではあるが、経済はアメリカ新大陸からの金銀の流入、またドイツで獲得されていた銀によって、物価が高騰、インフレ状態になり、経済も混乱を極めた時期となります。

しかしコインを見ると、ルネサンスや人権宣言等、宗教戦争の殺伐した中になって、芸術は発展した流れに乗り、多くの芸術性に富んだデザインのコインが存在しています。見た目の美しさの中に、殺戮が行われていた社会の背景は見えてきませんが、その背景を知ると、その美しさの裏に隠れている事実に、心が熱くなるのは私だけではないかと思います。

ハプスブルグ家、いかがでしたでしょうか?

私も改めて紐解くのに難解でした(><)が、中世ヨーロッパの生々しい宗教戦争・・・社会からの抑圧と人権のせめぎあい、そして新大陸からの莫大な冨と共に、それでも豊かになれなかった国民という時代、それでもルネサンスの影響から芸術が花開く時代にあって、人間の心理を色濃く感じる時代だと感じながら、改めてこの時代のコインを見ると・・・今までとは違った見え方がしてきます。美しいというよりも、目に見えない人の想いが詰まった重さを感じます。

しかしその一方で、

巨額の富はいったいどこへ!?

と思いますが、それは次章以降のイギリスの幕開けにつながります。

 

神聖ローマ帝国 1633年 フェルディナンド2世 10ダカット金貨

⇒次(Ⅱ部-8:スペインの衰退、イングランド大英帝国への礎、金融国家ネーデルランド16世紀~/「スペインの衰退」)に続く